集団心理って、怖くない?
こんにちは
広末です
昨日、初日の出を拝むために羽田空港まで行き、そこで多くの人が集まってる様子を見て感じたことがあります
それは、集団心理についてです
今回それを感じた理由が大きく分けて二つあるので、そこからお話ししていきたいと思います。
注意!この記事は、自分ものそのうちの一人だということを棚に上げています。予めご了承ください
【集団心理って、怖くない?】
それを感じた二つの理由をまず挙げたいと思います
- 初日の出自体を楽しみにしているんじゃなくて、初日の出を拝んだうちの一人になりたいだけなのでは?
- 「混雑するため下りエスカレーターで規制をします」というアナウンスが予めされていたので、そうなる前にさっさと帰ろうとする人が続出した
本当に個人の意思?
ー日の出を拝むという行為では?ー
これは正直毎年思っていることです。
まずそもそも、初日の出とは何なのかというところからなのですが調べたところによると
- 一年の計は元旦にありという言葉
- 元旦の「旦」という時は地平線から太陽が出てるという様子を表している
- 初日の出と共に年神様が降臨する
といいったことから、1月1日のその年の一番最初の日の出を特別視するようになっていったそうです。
ここで注意しなきゃいけないのは、当たり前ですがこの日だけ太陽が違うなどといったオカルト的な変化は一切ないということです。
太陽サイドからしたら、普段と同じように地球が目の前を回っているだけなのに勝手に1日だけ変わったものを見る目で見られたらたまりません。
そんなことがあれば、かの有名なガリレオ・ガリレイ(1564-1642)も憤って太陽をバスケットボールの様に回してしまうでしょう。
要するに、1月1日の日の出を見るということが最も大事なのです。
でもちょっと待ってください
皆……
初日の出への有り難み絶対忘れてない?
日の出を拝めるスポットに着いた頃には既にちらほらと人が集まっていたのですが、ここで感じたことがありました。
コッ、コイツら…まだ日も上っていないのに飽きてやがるっ…‼︎
ほんの少しだけ誇張はしましたが、つまり僕が言いたいのは、初日の出を見るという行為をタスク化している傾向が見られるということです
何となく正月といえば初日の出かー…
みんな見に行ってるし行くかぁ…
こんな声が聞こえてはいませんでしたが、年末年始はこういった通行人の心の声で鼓膜が3回くらい破れました。
初日の出を見るという行為が大事になってくると、有名な拝むスポットへ行ったことでひとつノルマが達成されてしまい、あとはSNS用に写真だけ撮ってすぐ帰ろうという心理になるといったこの流れこそが、集団心理なんじゃないかなと思っています。
こうして、初日の出を拝んだうちの一人だと名乗ることが求められるようになっていくんですね
…えっ?
「私はちゃんとお日様に感謝をしている」って?
うーん…
…うるせぇぇぇぇぇぇぇええ‼︎
まあ日の出を拝んでみるのも気持ちの良いものなので皆さんも元旦とは言わず朝早く起きて見るのもいいですね
皆んなでやれば怖くない?
ー混むって言ったから!?ー
僕が今回感じたもう一つの集団心理。
今年の初日の出の時刻は東京で6:50だったのですが、その数分前に警備員の方からこのようなアナウンスがありました。
「混雑が予想されますので、ご帰宅される方が集中される場合規制をします」
当然ですね。
一つのエスカレーターに200人以上の人が集中する可能性がありましたし。
では、今回の場面の前後を時系列で紹介します
6:45頃ー
帰宅に関するアナウンスがされる
6:50頃ー
日の出。しかし雲が多くあまり見られず。
6:52頃ー
徐々に人が捌ける
6:55頃ー
半数以上が一斉にエスカレーターへ
僕もそれに乗じる
ものの5分であっという間にほとんどの人が帰宅モードと化してしまいました。
おそらく最初は全員、「時間にもなったしさっさと帰りたい」という思いと「でも順番は守らないと」という心理から生まれるジレンマで、エスカレーターへダッシュしたい気持ちを抑えていたでしょう
そこである人が足早に帰ろうとする、それを見た別の人がさらに帰ろうと、さらにそれを見た人が…といった形で行動が連鎖していきました。
この連鎖の波を運んでいるものこそが集団心理に他ならないのです。
「みんなやってるし別にいいか」「多数派にいれば自分は注目されない」この考え方は時には大きな力に変えることもできると思いますが、やはり間違っていることも少なくないはずです。
一人一人意思を持って動くことに越したことはないなと感じました。
これを読んでくださった方の意思決定に少しでも訴えかけられればいいなと思います。
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それでは、、
また。。