今年の真の流行語 反社~HANSYA~ 後編
こんにちは
広末です
忙しい日々が続き、なかなか時間を作ることができずブログの執筆が出来ないでいました。
https://hirosuentertainment.hatenablog.com/entry/2019/12/12/190040
今回はこの記事の後編なのですが、前後編に分けたのにも関わらず更新の間隔が空いてしまったことは反省すべき点だと感じています。
時間の使い方を上手にすることが今後の課題です。。。。
さて、、
今回も反社について自分の意見を述べたいのですが、ここで軽く前回の要点をまとめます。
- 闇営業問題における最大の問題点は反社との金銭の譲受が行われたという一点のみとする
- イメージという抽象的なものにその後を左右される立場である職種の方にとっては避けて通れないことである
- ことの重要度はその繋がり方の深さによるわけではなく、それを見た個々人がどう捉えるかに依存する
そしてこの三点を踏まえ、この問題において大事なのは繋がり方や関係性そのものではなく、周囲の判断ただ一つで決定してしまうということを前提として、意見を述べたいと思います。
“反社”について考える
桜を見る会問題から考える
※この記事では、あくまでも反社会的勢力について思ったことを述べているだけであり、政治的な意図や特定の思想などは一切含んでおりません
2019年に起こった反射に関する問題について闇営業問題と双璧をなすほど話題になったこの問題。
事の発端は今年5月、毎年4月に総理大臣主催で行われる桜を見る会において、参加者や金額が毎年増え続けていることが問題視されたことから始まります。
- 予算を大きく上回る支出が妥当なのかということ
- 保守系や後援会などの参加者が多くみられたこと
この2点から、多額の税金が使われるこの会自体を私物化しているのではないかということが問題視されました。
今回述べたいのは反社会的勢力に関する点のみなので、1(予算額に関する問題)については考えないこととします。
そして2(参加者に関する問題)についてですが、ここからが本題です。
本来この桜を見る会においては、各省庁などによって選定され最終的に内閣府が誰を招待するかを決めるという流れなのですが、ここ数年ではその招待者のなかに安倍首相の支援者の方が多く含まれているということが問題になりました。
その支援者のなかには影響力のある芸能人や文化人なども含まれていて、税金を使って会自体を私物化していると捉えられてもおかしくない状態でした。
このように、招待者の選出についての問題点が次々と挙がっていていくなかで、とある反社会的勢力の一つに数えられる団体に所属する、または所属していた方が、会に参加した議員と一緒に写っている写真が取り上げられました。
闇営業問題のケースとは違い桜を見る会は招待制であることから、反社の人間と知らなかったという言い訳は通用しないと考えるのはごく自然なことです。
このことから、招待者名簿の中に反社会的勢力の名前が記されていたのではないかという疑問が浮かび上がりました。
そして国会でこの点についての追及がされたのですが、名簿は破棄されたから確認することは出来ないというのが政府の見解でした。
このような曖昧な回答がなされたため、何か不都合なことがあるのではないか、反社と意図的な繋がりがあるのではないか、そういった疑問点が飛び交っていきました。
そして、連日追及が続くなかである閣議決定が行われました。
“反社会的勢力は定義することができない”
- その時々の社会情勢に応じて変化し得るものであり、限定的・統一的な定義は困難
- 反社会的勢力の定義は一義的に定まっていない
要するに、反社会的勢力というのはそのときの状況や影響などから解釈されるもので、特定の団体について直接定義できるものではないということです。
当然この決定についてはさまざまな議論を呼ぶことになりました。
ここで、僕が一番述べたいことに繋がっていきます。
反社会的勢力とつながっているかどうかという判断は、それを見た一般の方々がどう捉えるかということだけで決まってしまうというのが僕の最も主張することなのですが、何となく今回の閣議決定と合致しているような気がしないでもないです。
ですが、決定的に違うと断言したいことがあります。
僕が述べているのは、“反社と付き合っているとどう捉えるか、ひいては付き合っていたその対象についてどう思うかというのが一般の意見に左右される”のが主旨で、その過程の中で渦中の団体が反社と言えるのかどうかということも同時に判断されるといった意見です。
これはあくまでも個人、特に芸能人や著名人などに代表される、イメージという抽象的な事柄によって左右される肩書きの人について思うことであり、周りが黒と言ってしまえば黒、白と言えば白になるという違和感から来る意見でもあります。
今回の閣議決定については、“反社会的勢力そのものへの判断が、状況によって変わっていく”といった内容です。つまり、議題にあがる対象(この場合は政府とします)自体が反社とされる団体と付き合っていたことに対する黒白の判断ではなく、その団体自体が黒なのか白なのかという判断を最初にするから、白と解釈すれば真っ白で、黒と解釈すれば真っ黒であるという決定だと僕は思います。
ここまで複雑に書きましたが、要約すると
- 反社と付き合っていた(とされる)対象への判断は完全に周りに委ねられる
- 対象と付き合っていた反社(とされる団体)自体の判断が、その場合によって変わる
前者が僕の意見で、後者が政府の決定です
この2点を並べてみて、一つ大きく分かったことがあります。それを今回の記事のまとめとしたいと思います。
企業や政府などの決定を発する側と受け取る側には大きな認識の乖離がある
今回政府は、反社自体への解釈について閣議決定を発しました。
では、それを受け取る側である国民としてはどうでしょうか。話は戻りますが闇営業問題についてですが、
- 会社を通さずに直で営業が行われた
- その営業先が反社会的勢力であった
この二点が大きく問題視されました。
なかでも世間が最も注目したことは後者でした
反社会的勢力から金銭を貰い営業をした、この部分が取り沙汰され、これは確実に反社と繋がっていたとされました。
つまり、反社とのつながり自体が最も問題視されました。
ですがここで政府の閣議決定に則り、“その営業先が反社とは言えない、もしくはどちらともとれる(とれない)”という解釈になったとしましょう。
そうなった場合、闇営業問題について重要視されるのは会社を通さずに営業が行われたという点に変わってしまうか、そもそもここまで大事にならなかったでしょう。
つまり、反社であることは大前提の団体とつながっていたという点を重要視する受け取り側と、反社かどうかは解釈次第とする決定を発する側である政府などの認識に齟齬が生じていると言えるのではないでしょうか。
そしてそこに目を瞑ったのか、それとも何か別の意図や不都合があったのか、背景はわかりませんが今回の閣議決定についても一つ言えるとこは、明らかに受け取る側にとっては釈然としない内容であり、やはり信用されるトップというのは、こういった認識の違いをとにかく削っていくということが出来るかどうかが大事になっていくのだと思います
今回のまとめ
前後編に渡り長々と意見を拙い文章で述べましたが、これを踏まえて僕が述べたいことは以下の四点です。
- 対象の団体が反社会的勢力であるかということは必ず大前提として決定されるべきで、その上で少しでも繋がりと呼べるものがあってもそれ自体をアウトとするのではなく、状況や事実をしっかりと鑑みることが必要である
- 反社と呼ばれる人は、自らの人脈から簡単に辿れるところにいてもおかしくはなく、何も波風を立てないようにするには一人一人の意識の問題である
- 何か大きな問題が起こった場合、そのなかで反社が登場してくることは珍しくないので、かならず考慮しなきゃいけないのは“主な問題点と反社が関わっていたことは分けて考える”ということ
- 反社は怖い【重要】
出来る限り自らで備えられることはやっておくことがベストですね
ここまで、自論というテーマでかなり長い記事を書いてきましたが、とにかく時間がないときに前編を始めてしまうと大変なことになるということがわかりました。
どうしても誤解がないように自分の考えを書きたいので長文になってしまい、時間がかなりかかってしまいます。
ですがこうして文章にしてみることで考えを整理でき、自らの考えを俯瞰で見ることができるので、間違っている点や重要視している点が自分で認識できるようになることは、とても大きな収穫だなと感じました。
それでは、、、
また。。。